『志村けんさん』お帰りなさい
どうしてこんなにも『孤独』に逝かなければいけないのか。
これも人の運命と言えばそれまでかもしれない。
本来なら、大物芸能人が亡くなった時は、数日その方の話題でテレビ放送は埋め尽くされ、葬儀の様子、メッセージが沢山流れて、一般人の私たちの所へも届く。
なのに、なのに何故、『志村けんさん』の〘死〙に関しては、こんなにも無情で呆気なく済まされてしまうのだろう…。
私はドリフターズを見て笑って育った。
幼稚園の頃から、両親は夜の仕事だったから1人で留守番。
新聞紙のチャンネルに丸印を付けてもらって、何時になったらこのチャンネルを見たらいいよと言われて1人で毎晩過した。
土曜日は、学校も休みだったけど、両親は仕事だったから寂しい1日だった。
だから夜が来るのが楽しみだった。
今ニュースを見たり、働き盛りの中年はもちろん、私たちの親の世代も、私たちの子供の世代も、知らない人は居ない、唯一生涯お笑いコントを続けたのが『志村けんさん』だと思う。
なのに今回のこの扱いは酷いんじゃないか。
何故、孤独にこの世を去り、葬儀もなく、火葬にも立ち会って貰えず、袋ずめでの火葬をされた上にお骨も拾って貰えないのか…
何故地元の人達が『志村けんの木』に花を手向ける事すら控えろと言われるのか…
そこまでの重大な何かをしたと言うのか…
ただただ、新型コロナの一犠牲者に過ぎない。
医者も専門家も言ってる。
火葬に立ち会うことももお骨を拾うことも許可されないのはおかしいと…
素人でもわかること。
息を引き取った時点で空気感染はない。
火葬した時点でウイルスも死ぬ。
ビニール袋に包まれての火葬ならなんら立ち会っても問題は無いと。
何か他の力が働いたのではないかと。
そして何故訃報の夜に夜の飲み屋街への中高年者の自粛要請を発表したのか。
『志村けんはかなりの酒豪』
そう言われてたから?
いかりや長介さん以来のお笑い会の大物の他界と言っても過言じゃないのに…
余りにも酷くて残酷な大物芸人の訃報。
さすがに今回のこの、扱いには疑問しかない。
東京都知事だけじゃなく、何故阿部さんも何も言葉をかけてはくれないのか。
『志村けんさん』の亡くなった日は私の息子の誕生日。
体調が悪化した日も息子と同じ。
息子も入院し、違うウイルスだけど重症化し、点滴を受けながら、なんとか熱は下がってくれたから退院出来たのは28日。
自宅で4歳の誕生日を迎えら事が嬉しかった。
けど、月曜日の訃報には言葉が詰まった。
悪化した日も私と主人の結婚記念日だった。
思えば天皇陛下の生前退位が決まった年から大物俳優が次々にこの世を去り、自然災害が次々と起こり、令和になった瞬間にこれだ。
それでもまだ悠長に「ロックダウン」にも踏み切れず、今ある病院だけで賄おうとしてる日本は明らかに遅れてる。
他国のやり方を見て確認してからじゃないとできないの?と言いたくなる。
こんな日でも、過去最多と言われるこの夜も、遊び呆けてる若者。
「若いから大丈夫と思ってる〜」
何を言ってる?
ならマスクを子供や御年寄に譲ってやれ。
元気な若者が意味不明のマスクを付けて、弱い立場の人達が困って死んで行く。
今回のこのウイルスは、今の狂った世の中に何か変化を与えるためにやってきたのかもしれない。
本当なら1週間くらいは昔の映像や『志村けんさん』の看板版組の特集があるはずなのに、最後の最後まで1人だなんて…
花も手向けるななんて…
追悼式くらい、集まるのがダメならテレビでしてもいいんじゃないかと思う。
その日その時間、テレビででも追悼式をしてくれたら、どれだけの人が懐かしみながらもありがとうと言えるか…
日本は本当にダメになっていく。
こんなんじゃ、4歳の息子が大人になる頃にはどんな世の中になってるのか…
日本に大きく貢献してくれた方の訃報ですら、異常なほどの例外的な扱い。
私には不安でしかない。
このままではこの国に輝く未来はないだろう。
『志村けんさん』
寂しかったでしょう。
苦しかったでしょう。
けどきっと、それでもあの世で『だいじょうぶだぁ』と言いながら、早くみんなが笑えるようにと願ってくれてるんでしょう。
本当に、この世に世代を超えた笑いと思い出を残してくれてありがとうございました。
医者の説明も医者次第
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緊急入院した息子のその後
やっと息子の退院の目処がついた。
明日。
急ですな…
昨夜は久しぶりに静かに寝入り、今朝もぐっすり寝てくれてた。
その間に病棟の小児科医と担当医と連携してる医者と毎日来てたけど、今朝は先に病棟小児科医が来てくれた。
初めて会った時から声も小さいし何言ってるか分からない人だと思ってたけど今朝も同じく。
「熱も下がったようですし、点滴外します?昔は点滴外して一日様子みて大丈夫なら次の日退院といった流れが一般でしたが今はギリギリまで点滴することもありますが…。外します?」
は?意味がわからない。
熱は下がったけどその前にまだ息子寝てますが?
いつも起きてからが調子悪くて機嫌悪くて大変なんです。
てか、先ずろくにまだ食べれてないです。
なので、起きてからが機嫌悪いからまだ付けといたらダメなのかと聞きました。
「まぁいいですけど○△□…」
と、最後は何を言ってるやら分からず退散しました。
続いて担当医と連携してる若い医者。
この人は元気で愛想もいい。
その時は息子も起きてたけど少しご機嫌ナナメ。
「胸の音は綺麗になってるけどまだ熱も少し上がったり下がったりしてますしもう少し点滴つづけましょうか」
医者によってこんなに対応と説明と違うもんなのか?
しかも天下の○○医療センターが?
でもこれでも地元の大学病院に比べたらめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ対応も設備も清潔度も圧倒的に上なんですがね…
そして今日午後、急にまたいつもの原因不明のグズりが始まって、私もダメ、主人もダメ、けど離れたら怒るし触っても怒るし…
結果、無理やり抱っこして少し落ち着き始めて、やたら指を触るからきっと酸素を測るコードが嫌なのかもと思ってナースコール。
外して貰えないか聞いて、直ぐに酸素は外してくれました。
ついでに今朝の医者の話もして点滴を外せるか聞いてみたら、今担当医が手術中だから確認取れ次第と言われた。
でも酸素の機械取れただけでも随分ご機嫌も戻り、ようやく久しぶりにお菓子を食べてくれてた。
そして何気なしに点滴をつけてる手を見たら…
あれ?
少し腫れてる?
そーっとガーゼをずらして見たら手の甲が腫れてました。
そりゃぐずったり寝返りうったりしてたらそのうちこうなりますよね…
もう一度ナースコール。
直ぐに点滴外してくれて、先生の確認取れるまで付けるのは待ってくれました。
「ドラえもんのおててみたいやね」と気を紛らわしつつ夕方になり、点滴なしでOKと聞き、そのあと明日退院予定と聞かされ、急でビックリ。
咳も少しまだしてるし、食事は食べれてないけど大丈夫かな…
けど入院ももう息子には限界かな…
そんな不安な中、一応退院を考えて、要らない物を主人と娘に持って帰ってもらった。
そして迎えた夜の20時過ぎ。
少し前からまたウネウネ言い出したと思ってたら久しぶりに息子の口から「お腹空いた」と聞いてうビックリやら嬉しくやら!!
買い置きしてたもの片っ端から食べると言っては一口食べては要らないって…
なんでーーーー!!
あ…もしかして…?と
「おうどんは?」
と聞いたらそっと頷く息子。
時間は20時50分。
慌てて息子に留守番出来るか確認して、ナースステーションに声をかけて売店へGO!!
即席ミニうどんとミニにゅう麺を買ってそのまま売店でお湯を入れて部屋に戻りました。
生麺だから1分で出来上がり♪♪
約8日ぶりに美味しそうに口にしてくれました!!
半分ちょっと食べてくれてもう本当に一安心。
これで間違いなく明日無事に退院できるね♪♪
明後日は4歳の誕生日。
キャンセルした地元のパンケーキカフェの記念日フルーツプレート。
直ぐにまた電話して時間を夕方に変更して予約。
フルーツやパンケーキなら食べれるよね♪♪
4歳。
何かとお金が必要になる年齢です♪♪
嬉しいやら財布が泣くやら???
ユニバも4歳から有料なんです(^-^;
でも、早産で少し未熟児で産まれた息子だから嬉しいし、無事普通に誕生日を迎えられる事に感謝!!
予定日通りなら4月だった誕生日が学年で一番遅い3月産まれになってしまった息子。
初めての大病。
でもやっぱり信じてよかった息子の体力!!
偉いぞ!
よく乗りきったね!
退院したら思う存分お祝いしようね!!
さて。
保育園に春休み前になったからどうしても荷物を取りに行かなければならず、今日主人に息子を頼んで行きました。
そこで先生から、息子が休んでしばらくしてからもう1人ヒトメタになった子がいて、その前にうちの息子が熱を出す前一つ下のクラスでも居たらしく、移ったのかもしれないねと聞きました。
保育園の先生でも知ってた《ヒトメタニューモウイルス》
でもかかりつけ医からは名前も疑いすらもされなかったし聞かなかった。
ウイルス感染は抗生物質も解熱剤も効かない事は昨年主人が体調を崩し、《サイトメガロウイルス》という名の普通は幼児期に知らぬ間に皆がかかるウイルスに感染した時に知ったこと。
小さい子供は思ってることは言えない。
だから風邪と聞いても、抗生物質や解熱剤が全く効果なく、数日経っても改善が見られない時、ウイルスを疑ってくれる医者が安心、というのもかかりつけ医にしたいひとつの目安になるかもしれません。
今回は重症化しかけて、ギリギリ私の判断で緊急搬送したから間に合ったけど、医者に言われた通り自宅で観察してたら、肺炎になってしまってたかもしれません。
皆様もかかりつけ医だからと安心せず、時には自分の判断を信じて行動してみてください。
※高熱が続くのに足が冷たい
今回息子は高熱が続いてても足先は普通でした。
それが日に日に少し冷たくなってました。
あの日、かかりつけ医に2度目の診察を受けた時、もちろんそれも話しましたが耳にも止めてくれませんでした。
今回、こちらの急患対応してくれた女医先生が教えてくれました。
『脱水が進むと体内に水分を貯めようとして末端から冷たくなってくるんです。足先が冷たいのは脱水が進んでるってことですね』
その時は既にふくらはぎも冷たかった。
体はめちゃくちゃ熱かったのに…
これもまた一ついい勉強になった。
きっと大人も同じ。
だから高熱だけでなく、夏バテや体が火照ってるのに足先か冷たい時は脱水を疑うべきという1つの目安を知れた。
今回無事に退院出来た事に本当に感謝します。
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バイトと社員どっちが仕事できる?
自分で言うのもおかしいけど結構な職種を経験したと思う。
そんな中で、『バイト』をしたのはほぼ飲食店。
初めて『パート』として働いたのは26歳くらいかな?
専業主婦から兼業主婦に。
その時のパート経験があったからこそ今の私があると言っても過言じゃないかもしれない。
当時、オープニングスタッフって名目だったから、そりゃあもう研修も厳しくて…
作り笑顔が出来なかった私はいつもお客さん役の同期スタッフ相手に、『笑顔!!』と社員に叱られながら接客の練習してたけど、最終的に手鏡渡されて『自分で顔見ながら笑顔作れ!!』と言われて研修したのは今でも忘れない。
でもその甲斐あって、今のバイトでも、主人の仕事の見積もりにも超笑顔で対応出来るようになって、愛想だけは天下一品だけども笑。
てな感じで、いくつかの飲食店でパートして感じた事は、大卒で入ってきた本社研修しか知らない新人社員と長年現場を知ってる若いバイトとじゃ、現場で仕事出来る人材は明らかにバイトって事。
そしてバイトから成り上がった社員は底なしに強いって事を知った。
現場を長年経験してきて、試験受けて社員になれたんだから当然と言えば当然なんだけど。
その初めてのパートで、私も近畿統括長や、関西統括長に仕事振りを認められて、あちこちのオープン店へ教育に行ったのも忘れられない経験。
でも、当時時給850円で、他府県のその店舗の新人は時給1000円。
教える私の時給が上がるわけでもなく、手当をくれるわけでもなく、アホらしいなぁって思ったっけ。
それでも別れ際には『また会いに来てください!!』とか、『絶対忘れません!!』なんて言葉を貰えたらそんな事どうでも良くなったけど。
おかげでこれもまた、仕事を教える『コツ』は、ある程度身についたかもしれないかな?
バイト、パート、契約社員、正社員、たくさん混ざる事が多いのが飲食店業界かもしれないけど、どんな立場であろうと、現場をより多く知ってるものが強いのがあからさまに見てわかる職種なのも飲食店業界かもしれないかな。
さて、その初めてのパートで出会ったある人との事がきっかけで私の人生も更に大きく変わることになったんだけども、それは携帯小説で書いてるし、そのうち『電子書籍に!!』と思いながら作業進まず何年経つかなぁ…
早くそっちも進めつつ、執筆家としても仕事出来たら本望と思う今の私でした。
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かかりつけ医でも信用できない
だから『所詮町医者』って言われるんや
誕生日目前の息子の苦難
息子の4歳の誕生日目前、そして結婚5周年を目前にした20日の夜、少し息子が熱を出した。
昨年12月にも高熱が続き、上の子からお世話になってたいつもの小児科にも少し疑問を持ち始めてた。
いつも『不必要な検査を小さい子にしなくても』とか『痛い思い無理してせんでも』と言って薬をくれてニコニコ子供のご機嫌取って、この市のの週に一度包装されてる『小児科情報コーナー』でもコメントをしてる先生。
だけど少し楽観すぎやしないかという疑問…
今回も土日挟むし、と21日の土曜日の朝から受診。
いつも通り比較的元気だったからか、抗生物質と咳止め痰切りシロップのみ。
そして帰宅。
午後元気がなくなってきて夕方には40℃超え。
だけどいつもの如く解熱剤貰ってないしインフルエンザの検査もしなかった。
もう土曜日の夜。
抗生物質あるし、様子を見ようとその夜と日曜日を過ごした。
私はバイトがあったから主人と娘に頼んで行ったけど帰宅したら嘔吐したと。
咳き込みすぎかもしれない。
熱は37℃後半。
あまり食べないし飲まない。
少しは話せるけど元気はない。
でもそのまま夜早く寝てくれたから少し安心して次の日の月曜日。
相変わらず37℃後半。
その日はどうしても抜けられないバイト。
心の中で『ごめんね』と言いながらも、少し元気に『行ってらっしゃい』と言ってくれた息子。
その日は結婚記念日。
主人にも謝りながら出勤。
そして夜帰ったら息子は寝てくれてたけどやっぱり吐いたらしく、主人もちょっと疲れてて…
息子の熱を測ったらまた40℃近い。
翌朝もう一度病院へ連れていくと決めて迎えた24日。
朝熱を測っても同じく40℃。
同じ病院へ行くか悩んだけど土曜日行ってるし、また他の病院で初診で待つのもってことになり、再びかかりつけ医の病院へ。
明らかにぐったりしてて動くこともない息子。
中待合室で聞こえてくるいつもの雑談混じりのしょうもない診察室での笑い声と会話。
少しイラつきながらも順番を待って先生の元へ。
『今日はしんどそうやなぁ』
と聴診器で診察。
この数日の話を伝えたけどやっぱりいつもの返事。
『ちょっと肺の音悪いから吸入して帰ってもらおうか。抗生物質だけちょっと変えるから3日様子見させてくれるか?』
それだけですか?
検査は?
これじゃ去年と同じやし今コロナも心配やのにそれだけ?
インフルも結局今しても意味が無いと言われて検査せず、解熱剤を貰ってしんどそうなら夕方もう一度吸入しにきて、で終わり。
毎度のこと。
『点滴せなあかんほどでもないわ。3日経ってもしんどいようなら検査も考えるけど〜』
はぁ…
今日初めて吸入してる間もずっと咳き込んでた息子。
それでもいつもと変わらないと思うのか?
でも解熱剤貰ったから帰って飲ませて様子見てからまた夕方来ればいい。
そう思って帰宅。
直ぐに解熱剤と新しい薬を飲ませてすぐに少し寝てくれた。
午後起きたら少し元気になった息子。
少し安堵の私と主人と娘。
おにぎりを少しだけ食べてくれて久しぶりに笑顔を見せてくれて…
でもそれも夕方までだった。
また熱が上がって40℃。
時間はもう18時前。
もう一度解熱剤飲ませて様子を見て見たけど39℃越え。
ぐったりしてそのまま寝てしまった。
けど寝つきが悪いのかグズグズ言いながらウトウトと言った感じ。
そしてそのまま夜。
もう一度熱を測ったらまた40℃。
おかしくない???
一応気にしながらも3度目の解熱剤を飲ませた。
先生が量を少なめにしてるから1時間開けたらまた飲んでくれてもいいようにしてると言ってたから。
それでも39℃8から下がらない。
時間は22時前。
水分も取らずぐったりしてるけど、足先は冷たい。
おしっこも今日はしてない。
脱水してるかもしれない。
私は主人に話して夜間急患センターか救急車かどちらか連絡すべきじゃないかと相談した。
全国がそうなのかは知らないけど、この地は小児は一旦夜間急患センターに行ってそこから紹介してもらわないと夜は大きな病院では見てくれないシステム。
それなら救急車?
どちらにも電話をした。
結果救急車が来てくれた。
何をしても反応も薄くてぐったりしてる。
けど結局救急車を呼んでも行くのは夜間急患センターだった。
そこで診察してもらいながらこの数日の事を説明し、担当医からも『点滴や検査があってもいい状態やけど…』と言われた。
インフルの検査も一応してくれたけどやはり陰性。
結果的に、肺炎とまではいかないけど、点滴だけじゃなく、血液検査もした方が良いとの事で大きな病院への紹介状を書いてもらってそのまま病院へ主人の運転で走った。
そしてそこで診察を受けながら、恐らく入院した方がいいかもしれないけどご両親はそれでも大丈夫かそれとも自宅での治療を希望するか確認の説明をしてくれて、最善の治療でこの子が早く楽になるようにとお願いした。
一応と言って鼻に綿棒を入れてレントゲン検査。
鼻の検査はこの年齢の子たちがかかるウイルスの検査らしい。
『結果が出るまで採血と点滴の準備をするから部屋の前で待っといてくれますか?』
と言われて部屋の外へ。
そこで聞こえてくる息子の泣き叫ぶ声。
痛いかな
痛いよね
不安よね
ごめんね
ごめんね…
たまらなく辛くて、でももっと辛いのは息子で…
主人は黙って俯いてる。
そして長く感じた時間が終わり、診察室へ呼ばれた。
『すごく泣きましたが全く動かず頑張ってくれましたよ』
その言葉にまた泣きそうになる。
『レントゲンの結果は肺は白くなってるとまでは言いませんがうっすら白いところもあるので気管支炎かと思われます。血液検査も特別悪い所は無いんですが、ナトリウムなどが凄く少なくなってるから、自力で頑張ろうとしても水分だけでは補えない状態です。塩分が少なくなりすぎてるんです。』
ただの脱水では済んでないってことか…と直ぐに理解した。
『それから、先程の綿棒の検査ですが、ヒトメタニューモウイルスの反応が軽く出てます。みんなかかるんですけど、稀に重症化することもあって発熱から5日目〜10日がピークなのでちょうど今日が5日目ですし、やっぱり入院してもらって点滴しながら、咳と塩分とウイルスの経過を見ながら治療しましょう』
入院…
要はかなり体力も落ちてしまってる上にウイルス感染だから抗生物質も効かないし特効薬もないからこうなった。
だから緊急入院。
ヒトメタニューモウイルス…
直ぐに部屋を用意してもらって移動し、点滴が少し効いてるのか泣き疲れたのか息子は眠ってた。
時間は夜中の3時。
当然私は付き添い。
入院書類に目を通し、一先ず必要なものを今眠ってる間に取りに自宅へ帰る私と主人。
やっぱり昔からやり方の変わらない町医者はダメだと話しながらの帰路。
新しい事に挑戦したり研究や勉強してる先生とそうじゃない長年の自分のやり方と勘に未だに頼る先生の違い。
今回それが痛いほどわかった。
持てるものだけ持って私だけ急いで病院へ戻り、必要なものは朝また主人に頼んだ私。
病室へ着いたら息子は目を覚ましてて看護師さんが『トトロ』のDVDを見せてくれてた。
1度も泣かずに待ってくれてた息子。
いつもいつも年齢の割にしっかりした優しい息子。
今日からお母さん頑張って看病するから!!
今回はここまでにして退院したらまた入院中の話しを書こう。
今回は『かかりつけ医』の見つけ方がどんなに大切で、でも、見極めがどんなに難しいかを本当に実感したし、古くから存在してて子供に人気だからいい医者だとは限らないと本当によく分かった。
それは小児科に限らずだけど…
それもまた次回『心療内科』について話すとして今日はそのウイルスについての検査の必要性や先生の適切で早い判断が本当に大切だと言うことを知って欲しくて書きました。
※《ヒトメタニューモウイルス》
保険適用は6歳までで、風邪と全く同じ症状だけど熱が下がらなく、高熱が続く場合は疑うべきウイルス。
流行りは3月〜6月。
主に1歳以上の幼児がかかりやすい。
大人にも感染するし高齢者などが感染し、赤ちゃんでも稀に感染する死亡例もある決して油断できないウイルス。
肺炎や気管支炎を伴うと重症化するので医師の経過観察が必要。